全体と部分whole and parts (271)

最終更新日:2002年05月10日 船戸和弥のホームページ

哲学事典(森 宏一編集、青木書店 1981増補版)から引用:括弧内は参照頁。

 部分からなる全体、全体に下属する部分というように一般的に考えられている両者の関係については、従来二つの見解がなされている。1)全体はたんなる部分の統計・集成としてあり、部分のうちにないものは全体においても存在しないとするもの。2)全体は部分の総計ではつくされず、それ以上のものであるとするもの。この理解は多くの場合、神秘的な全体という見方がなされ、不可知で超越的な精神的存在をみとめることにみちびく。ドイツ古典哲学のシュリングやヘーゲルは、無機的全体と有機的全体との別をたて、後者は自己発展すると認めたが、この全体は精神とされた。たしかに、全体と部分との実在的関係には、1)無機的全体としてと、2)有機的全体としての、二つの型が見いだされる。前者1)は、全体は部分の統一・集成からなり、その諸部分hあたがいに密接で強固な相互結合をなしていると同時に、たんに機械的な部分同志の総計に帰することができない。その例は、原始や結晶にみられる。後者2)は、生物や人間社会という全体にみられるであり、部分の結合という形態をとっているが、その結合である全体は自己発展をするものであり、うけぎと段階をへていき、またふくざつさをます。この場合には、部分のうちには併存的な相互関係だけでなく、全体の発展によって新しい部分が生じ、部分のあいだに上下の所属関係もできる。そして部分は全体をはなれては自己の特性を失う(無機的全体でもそうであるが)ばかりではなく、みずからの存在をなくしてしまうものである。全体と部分との、上記の、無機論的と有機的における相互関係をとらえることは、いたずらに全体を部分から引き離して神化するのではないとともに、全体をたんに部分の総計として全体のもつ特性を見失うおそれをなくし、また全体の持つ複雑さ、そこでの部分の相対的独立とそれら部分間の諸関係を正しく位置づけるための、認識上、実践上の大きな役割をもっている。