目的論teleology (475-6)

最終更新日:2002年05月10日 船戸和弥のホームページ

哲学事典(森 宏一編集、青木書店 1981増補版)から引用:括弧内は参照頁。

 人間に限らず広く自然のすべての現象が、目的のもとに秩序立てられているとする見方。人間はみずから意識を持って目的をたて行動するが、自然においては無意識に目的があたえられているとするのである。このように、目的のもとに万物がととのえられて存在しているようにするのは、世界を支配する神によるという考えにいたる。そこで、これを逆にして、世界が目的によって秩序だててられているというころから神の存在を証明しようとする試みもでてくる(→神の存在の証明)。この見方を組織だてて述べたのがアリストテレスであり、かれは資料が形相を実現していきながら、しだいに高まっていくところに世界の目的論的あり方をみていた。ライプニッツが予定調和の説をたてたのも同様な考え方による。これにたいしては、世界は機械的な必然性のもとにあるとする決定論が対立し、スピノザや18世紀フランスの唯物論者がこれの代表的なものである。生物学においても、17~19世紀には目的論の考えが支配的であったが、ダーウィンの進化論によって生物界の科学的説明があたえられるようになった。しかし、その後も新生気説・新ラマルク説などで目的論的な考え方が説かれてもいる。サバネティックスによれば、目的的であるとは、境界に事物がもっともよく適応する過程だと説明される。弁証法的唯物論は決定論の立場にたち、観念論的な目的論をとらないのはいうまでもないが、機械的必然性におちいるものではなく、とくに人間の活動については客観的事物の必然的関係の認識をもとにして、主体的な目的実現を認めるのを見落とさない。