社会民主主義social democracy (199)

最終更新日:2002年05月10日 船戸和弥のホームページ

哲学事典(森 宏一編集、青木書店 1981増補版)から引用:括弧内は参照頁。

 19世紀末、20世紀はじめには、マルクス主義にたつ社会主義党はこの名称をかかげていた。レーニンらが最初につくった労働者階級の革命党も<社会民主労働党>をなのってできた。のち第一次世界大戦とロシア革命をへて、マルクス主義の社会主義党は共産党という名称をかかげるようになった。本来、民主主義の獲得と社会主義の実現をめざすものであった。ところが労働運動・革命運動のこの時期のあいだに、第二インタナショナル指導部が、帝国主義の本質、そしてこの段階での戦争と革命を問題を正しくとらえず、日和見主義・修正主義におちいり、第一次世界大戦がおきると、<祖国防衛>の名で各国の社会民主主義党の多くが自国の戦争推進を支持し、事実上、第二インターは崩壊した。ロシア十月革命ののちレーニンらの指導で第三インタナショナルが結成されたのに対抗して、第二インターが復活し、その変質した社会民主主義を指導的方向にした。代表的人物には、ベルンシュタイン、カウツキー、M.アドラー、ウェッブ夫妻(イギリスの労働運動理論家)がいる。社会民主主義の特徴は、プロレタリアートの独裁を認めず、社会主義の革命をブルジュア民主主義のわく内で達成しようとして、結局、資本主義の存続を助ける立場であり、小ブルジョアならびに労働運動内のいわゆる労働貴族を社会的基盤にし、労働運動内へのブルジョア思想を反映したものである。第二次世界大戦後には、1947年、各国社会民主主義者は<国際社会主義者会議委員会(コミスコ)>をつくり、フランクフルト宣言をだし、反共主義を明らかにした。しかし、一貫した理論を欠き、その主張は時と国とによってさまざまであり、情勢によってあれこれと揺れ動き、小ブルジョア的動揺性をあらわしている。