仮象semblance (58)

最終更新日:2002年05月10日 船戸和弥のホームページ

哲学事典(森 宏一編集、青木書店 1981増補版)から引用:括弧内は参照頁。

 感覚に直接に認められる事物の本質のあらわれかたの一つ。これは事物の本質が不的確でゆがめられてあらわれているものである。たとえば、太陽が地球を中心にしてめぐるとみられるとか、水中にさしこんだ棒がまがってみられるとかのあらわれ方である。哲学上、思考によって実在がとらえられうとする場合では、感覚にあらわれたものは仮象とされ(エレア派の例は一つ)、不可知論の立場では、真実在は認識の外にあるとされるから、われわれの認識にはいるのは仮象だけとなる(ヒュームの立場はその例)。実証主義の立場からというと、客観的実在とわれわれの観念との対立は消され、認識はわれわれの息し事実に限定されるのでは仮象は問題なくなる。しかし実際には、仮象は客観的事物に結びつく物で、たんに主観的な物ではなく、事物の本質が仮想としてあらわれるには客観的根拠があり、なぜ仮象としてあらわれるのかを明らかにするのは、科学的認識の任務をなす(水中の棒がまがってみえるのは、たんに主観的なとらえかたによるものではなく、水中、空気中を通過する光の進行の差という客観的根拠がしめされるように)。マルクスはその《資本論》で、資本主義で生産者のあいだの関係が商品の間の関係としてあらわれ、物神崇拝が生じるという仮象を、科学的に明らかにしている。