必然性と偶然性necessity and chance (387)

最終更新日:2002年05月10日 船戸和弥のホームページ

哲学事典(森 宏一編集、青木書店 1981増補版)から引用:括弧内は参照頁。

 ある事物の推移について、そうなる以外にはありえないという、その推移の性格が、必然性によってしめされ、偶然性に対立する。哲学史上で、形而上学的―機械的唯物論は、人間をふくめて全世界を巨大な機械とみなし、そこでは因果的必然性だけが支配しているとみた。そこで、偶然性は客観的に存在するのではなく、偶然とみられるものは、まだその因果関係が洞察できない人間の側の無知によるもので、主観的にしか存在しえないとした。機械的因果性と異なりいっそう高いカテゴリーとして必然性を考えたヘーゲルは、必然性とは、あるものの内的な本質がみずから実現性として発展することを通じて自己自身を確証していく課程、可能性が現実性へと転化するこうした課程だと説いた。ヘーゲルのこの思想を唯物論の立場からうけついだ弁証法的唯物論は、必然性を、客観的実在すなわち自然および社会の自己発展運動にみられる内的な本質からでてくる客観的規則性・秩序・構造としてとらえる。この理解にたってみられる偶然性とは、事物・現象の本質からではなく、他の事物・現象からの影響を受けて生ずるものとみる。事物・現象が偶然的であるのは、それがたしかに生じたのであるが、同様に生じなくてもすんだであろうといえる場合である。もちろん、あらゆる偶然は原因をもっていて、因果的に条件づけられており、客観的性格をもつものである。必然性と偶然性とはたがいに対立するものであるが、またそれらはたがいに結びついており、一方がなければ、他方ももたない。必然性は、この結びつきで一般的なものであり、絶対的で普遍的な諸現象の結合をなしているのであり、どの現象にしてもそれがもつ内的必然性によって生じるが、しかし現象の生起は、さまざまな多数の外的条件との関連のうちでおこなわれるのである。したがって、これらの条件の特殊な性質、かぎりない多様さのために、これらの条件は偶然性を生じせるみなもとになる。このようにして、すべて現象は内的本質による必然性と、外的条件による偶然性とをないながら生じきたるのである。偶然性があらわれるには、必然性をもとにしなければ起こりえないのであり、それは必然性の現れる現象形態なのである。そこで、偶然性の背後には必然性があって、これが自然および社会の発展過程を基本的に方向づける。