キリシア哲学Greek philosophy (97-8)

最終更新日:2002年05月09日 船戸和弥のホームページ

哲学事典(森 宏一編集、青木書店 1981増補版)から引用:括弧内は参照頁。

 古代哲学というとき、とくにインド・中国などの名を冠しない場合は、哲学(philosophia)の語の起源をなしたギリシア哲学のことをさすことが通用している。この哲学は古代ギリシアに発生し、またこれを継承した古代ローマをもふくむ。古代のギリシアもローマも奴隷制社会であり、そこに成立した哲学は、前7~6世紀から、アテネの新プラトン派の学校閉鎖が命じられた6世紀はじめ(529)まで、およそ千余年間にわたる。政治的にはギリシアは都市国家(ポリス)を形成していたが、奴隷性生産様式の発生・発展の時期の前8~6世紀には植民活動がさかんで、東方では小アジア西海岸(イオニア地方)に商工業を発展させた諸都市をつくり、西方ではイタリア南部、シチリア島に植民し、主として農業生産を開発した。ギリシア哲学には、すでに哲学上の根本的対立、唯物論と観念論が明らかにしめされ、また弁証法的および形而上学的認識も顕在しており、その他、その以後の哲学問題の主要なものが提起され、論議されている。

 ギリシア哲学はまず、世界の根本物質はなんにかという探究にはじまり、これはふつう自然哲学とよばれる。それは東方イオニアの諸都市にあらわれ、そのうちでミレトスにタレスそのほかの哲学者らのミレトス派が最初(前7~6世紀)。もともとこの地方はバビロンやエジプトなど、その当時の先進国からの科学的知識、宇宙論・暦法・幾何学などが伝えられており、神話や宗教から科学・哲学への移りゆきを準備していた。ミレトス派は根本物質の問題を、もっぱら直接に感覚される物からとりあげて唯物論の構想を立て、また天文学・数学などの科学的知識をすすめた。当時、同じく小アジア地方のエペソスにはヘラクレイトスがあらわれ、万物の本源を火とするとともに、その絶えざる変転を説いて、弁証法思想をいいあらわしていたことは有名である。南イタリアにはピュタゴラス派(前5~4世紀)、エレア派(前6-5世紀)ができ、エレア派は、真の世界は変化発展せず絶対不変の一なる有であるとして、ヘラクレイトスに対立する主張をたてた。ここには形而上学的思考のあらわれがみられる。しかしこの派のゼノンの有名な逆説は、変化の虚妄なことを説明するためであったが、その後の弁証法的思考に大きな影響をあたえた。同じく前5世紀にシチリア島出身のエンペドクレスは、世界が四つの元素から生じると説いて、のちの原子論的唯物論の端緒をひらいた。これは従来の根本物質が感覚的なものだったのをすすめて、思考の精錬をへたものにするにいたっている。ギリシア本土は前五世紀はじめのペルシアにたいする勝利を機として、アテネをはじめ多くの都市国家の経済活動がさかにんになり、奴隷制下の民主主義が発展した。以後、哲学もアテネを中心にして展開される。この状況のもとでソフィストの一団があらわれて、論議の教師の役をつとめ、知識・道徳の相対性を説き、宗教批判をおこなった。初期のソフィストらは知的発展に貢献するところがあったが、後期になるとこの立場がもっている主観主義・相対主義から、いわゆる<詭弁>を弄するようになった。この前5~4世紀には民主主義者で、世界を支配する因果法則を強調した原子論的唯物論者デモクリトスがでた。また、ソフィストに対立し、新たに認識や倫理の問題をたて人間の目的行為と最高善をしることの重要さを説いて、人々に感化をあたえたソクラテス、そしてその弟子プラトンがあらわれ、プラトンはデモクリストの唯物論にはげしく対立して、イデア論による客観的観念論を主張した。エレア派、ピュタゴラス派など、それまで哲学者たちは観念論への傾きをふくんではいたが唯物論が主要な立場であったのが、プラトンにおいて明確な観念論が説かれるにいたって、唯物論と観念論との対立が鮮明になった。ギリシア哲学の頂点とみられるのはアリストテレスであるが、その哲学は一方で唯物論また弁証法をふくみながら、他方で観念論にかたむき形而上学的思考をもっていた。主傾向は観念論のほうにあったといえる。かれの生時にギリシアは北方マケドニアに征服されて独立を失い、ついで分立した支配におかれ、やがてローマの支配をうけるにいたる(前2~1世紀に完了)。この経過のうちに、いわゆるヘレニズム時代、ついでローマ時代となる。前4世紀以後の哲学は、1)ピュロンらの代表する懐疑論、2)エピクロスにはじまるエピクロス派、3)ヘラクレイトスの唯物論を入れつつ諸思想をまじえたストア派が主なものとなり、その時代を反映して、民族的自主性をうしなった世界市民という立場と自己一身の生活法の探究に専念することになる。元来、ギリシア哲学は奴隷所有者の立場を反映して観想的見地がいちじるしかったが、この時代にはとくにこれが強まった。

 古代ローマがこれらの哲学を継承する。ローマはギリシアへの侵入いらい、ギリシア人のローマへの移住、その思想の流入があり、そこにはすぐれた哲学者としてはエピクロスの哲学をつぐ前1世紀のルクレティウス・カルスがおり、ストア派はローマ・ストアとなって観念論的・教訓的な諸説にかわっていく。それとともに、奴隷制での支配階級どうしの権力争い、奴隷や自由民の零落の進行などから、宗教的雰囲気が高まり、前1世紀ころからは新ピュタゴラス派、つづいて新プラト派の神秘的思想を導きだし、やがて6世紀にその伝統がおわる。この間に、1世紀にローマにはいったキリスト教の神学にむすぶ哲学が教父哲学として成立し、これが中世の哲学へとつづく。