哲学の根本問題 fundamental question of philosophy 

最終更新日:2002年05月09日 船戸和弥のホームページ

 哲学事典(森 宏一編集、青木書店 1981増補版)(p323-324)から引用

 エンゲルスの有名な言葉がある。<存在に対する思考の、自然に対する精神の関係という問題、哲学全体の最高の問題>は<なにが本源的なものか、精神かそれとも自然かという問題である。><この問題に、あれかこれかどう答えるかにしたがって、哲学者たちは二つの大きな陣営に分かれた。自然にたいして精神の本源性を主張し、したがって結局、何らかの仕方の世界創造をみとめた人々は、…観念論の陣営をかたちづくった。自然を本源的なものとみた他の人々は、唯物論の種々の学派に属する>(《フォイエルバッハ論》)これが哲学の根本問題である。そして従来、哲学史でこれら相対立する立場が、たがいに闘争してきた。意識と存在・精神と自然、これを別の言葉でいいかえれば、存在するいっさいのもの(精神的存在も物質的存在もふくめて)のもっとも普遍的な対立は、意識と物質であるから、哲学の根本問題はこれら両者のどちらを根源的とするかにあるということができる。この問題には二つの面がある。一つは、どちらが根源的かということであり、他は知識が世界そのものとどういう関係にあるか、知識は世界に照応したものとしてあるのか、それを正しくとらえるのか、ということである。観念論は、意識を物質から引き離して自立させ、これを神とか絶対理念とか意識一般とし、そこに客観的観念論または主観的観念論を成立させる(→観念論)。唯物論は、物質に基礎をおき、ここから意識もまた成立するものとみる。しかし、マルクス主義以前の唯物論では、意識はたんに受動的なもの、外界を写しとるにすぎないものであるとか、意識もまた物質と同一のものであるとしか考えなかった(→唯物論)。これらにたいするマルクス主義の哲学の特徴は、1)意識物質の産物であって、物質は根本的・永遠的存在であるのにたいして、意識は第二次的であり永遠なものではないという制限をみる。2)意識は物質の変化・発展から生じ、物質の組織が感覚器官、神経組織、脳髄を出現させたことによって産出されたものとする。3)意識はその機能にあって外的世界を反映し(まず感覚で、やがて思考をもって)、外的世界の運動・本質・法則をとらえることができ、そのことによって外的世界に働きかけ、これを変革する機能を発揮することを明らかにする。4)したがって、意識はたんに受動的ではなく、それ自身、相対的な独立性をもっていることをみとめる。ここにみられるように、マルクス主義哲学は物質と意識とを、絶対的に分離し対立したものとはみない。意識は物質なしには存在せず、物質の産物なのであるから、またそれは物質をみずからのうちに正しく反映することのできる関連をもっているのである。しかし、この反映は人間が外的世界に働きかける実践の過程を通してしだいに深められ前進させられる。したがって、マルクス主義の唯物論で、物質と意識との対立をきわだたせるのは、哲学の根本問題として、そのどちらかに根源的なものをみるという哲学の基本的な対立を明らかにする点で提起されるものである。→哲学