封建制 feudalism (440-1)

最終更新日:2002年05月09日 船戸和弥のホームページ

哲学事典(森 宏一編集、青木書店 1981増補版)から引用:括弧内は参照頁。

 奴隷制についで、あるいは原始共同体についで、その崩壊によって成立した階級社会としての経済的社会構成体である。封建制での主要階級は、封建領主と農民であり、搾取階級には封建領主のほかに、貴族や、高位の僧侶がいた。支配階級のなかには、身分のヒエラルキーがあり、大領主は小領主を従属させており、このヒエラルキーは、さらにその社会全般にゆきわたって、身分の上下の差としてあらわれていた。教会・寺院は最大の領主のひとつであった。被搾取階級である農民は、すべての政治的権利をうわばれていた。封建社会のうちで発展してきた都市では、住民の大部分は親方・職人・従弟、その他の未熟練な労働者たちで、手工業をいとなんでいた。この社会での支配的な生産関係は、第一に、生産手段の主要な要素である土地をもち、その他の生産手段を合わせもつ領主にたいして、農民の不十分な所有により、地主の土地へ農民が壬申的につなぎ止められる種々な形態をとってあらわれていた。封建制においての生産力は、主として従属させられている農民の労働によるものであった。それは、農民たちが自分の家屋や、わずかな道具をもち、その労働による生産にたいしてある程度の物質的利益をもっていたので、生産を発展させることに関心をもっていたからである。封建制下の搾取は次の形態でおこなわれた。その形態は地代であって、地代が封建的搾取の特徴をなしており、それは時とともに、三つの形態をとってあらわれた。労役による地代(労働地代)、物納による地代(生産物地代)、金銭による地代(貨幣地代)がそれである。地代はほとんどの場合、農民の過剰労働の生産をうばいとるばかりでなく、その必要労働、かれらの生産維持にあてる生産にもくいこんでうばわれた。封建制経済は、自然経済をその特徴にしていて、技術は停滞的で低い水準にとどまっていた。この社会の上部構造は、まず国家については多くの場合、専制王政であり、イデオロギーでは宗教が支配して、その社会の精神生活にあまねく浸潤していた。したがって、社会思想は宗教の形態をとって発展した。農民の反乱もその多くの場合に、宗教的旗印をかかげておこなわれ、この反乱は封建制を根本から堀りくずし、これを崩壊に導くのを早めた。封建制につづく社会は資本主義であり、封建都市にそだっていった商工業の発展により、その担い手であるブルジョア(→ブルジョアジー)によってすすめられたものである。