物質崇拝fetishism (406)

最終更新日:2002年05月09日 船戸和弥のホームページ

哲学事典(森 宏一編集、青木書店 1981増補版)から引用:括弧内は参照頁。

 呪物崇拝、物神性ともいう。原始社会での宗教の初期形態であって、自然物・自然現象を崇拝すること。この語は、1760年にフランスの歴史家で言語学者のブロッス(Charles de Broses)が提唱したもの、原始人たちは物や現象の本質がわからず、それらになにか超自然的な性質がそなわるとみなし、それらのおかげで自分らの願望もとげられると考えた。トーテミズムや呪い(まじない)とも結びつけられた。多くの現代の宗教にもこれが入りこんでいる。
 社会科学上の、後ひとつの意味で商品の物質崇拝ということがいわれ、これの根元・客観的基礎を明らかにしたのはマルクスである。この物質崇拝は、私的所有による商品生産によるもので、資本主義において顕著にあらわれる。これがあらわれるのは、社会での人々のあいだの生産上の結びつきが直接的ではなく、市場を通じて、商品の売買を通じておこなわれること、つまり商品という形態をとることにある。そこで、人びとの結びつきが物の関係、商品の性質をもつことになる。物が支配し、人びとはこれに支配されるという形態があらわれる。こうした生産関係の物質的形態、物のほうに、つまり商品のほうの自動的な運動に、人びとが依存するようになること、これが物神崇拝の客観的基礎である。人びとは、物・商品がその本性上で、じつはそれがもってはいない、なにか秘密の性質があるように考えていくのである。このために、人びとのあいだにつくられる資本と労働との関係、生産関係が、物・商品の関係だとされて、その実際の事実をおおいかくし、資本が労働を搾取している事実をおおいかくす。あらわれたところでは資本家と労働者との関係は、同じく商品の所有者で、一方は労働力を買い、他方では労働力を売るだけであり、両者は平等で自由なのだという幻想が生みだされ、真に資本家と労働者との関係を規定しているものが、単に商品どうしの関係にすぎないという移し換えのために、わからなくなる。これは最初に書いたように、私的所有のもとでの人びとの生産上のつながりが、商品というかたちをとるためである。このように、真の人々の関係が物に帰着されているが、商品社会での物神信仰である。ここからは、貨幣にたいする物神崇拝もあらわれ、<カネほどありがたいものはない>という貨幣の魔力にとりつかれるようにもなる。