認識論epistemology (368-9)

最終更新日: 2008年10月17日 船戸和弥のホームページ

哲学事典(森 宏一編集、青木書店 1981増補版)から引用:括弧内は参照頁。

 これが問題にするのは、認識の成立するみなもと、認識の過程がとる形式と方法、真理とはなにも意味するか、などについての考察である。epistemologyの語の使用は、スコットランドの哲学者フェリア(J.F. Ferrier, 1808~64)が1854年の著《Institutes of metaphysics(形而上学要綱)》で用いたのにはじまり、ドイツのErkenntnistheorieのカント直後のその哲学の継承者ラインホルト(K.L. Reinhold, 1758~1823)によるといわれている。しかし認識論的考察は、哲学の歴史を通じて古代からおこなわれていたことは、ギリシア哲学・中国の儒教その他・インドの哲学・仏教にみられつところである。ただし認識論がとくに独自の問題として前面的にできたのは、でてきたのは、近代のことである。これには、資本主義の発生・成立・発展、つまり工業生産にともない人間の自然にたいする関係、人間による自然の利用の拡大、その必要性にともない、旧来のように認識は単に神からさずかる啓示にもとづくものという宗教的教義から解放されることがもとめられ、そこから資本主義生産の独自の要求と、これにともなう宗教的認識論にたいするイデオロギー上の闘争から、認識の成立・その本質・その獲得方法の新たな探求が求められてきたことによる。このさい、とくに注目されるのは、17世紀のF.ベーコンいらいすすめられてきたイギリスの経験論であって、それはロックの《人間悟性論》(1690)に結実されたのであり、これは認識論を体系的に説いた最初の著作である。それいらい、カントにみられるように、認識論でかれのいう<コペルニクス的回転という見解もだされた。19世紀後半から20世紀にかけては認識論への傾倒がいちじるしいたかまりをみたが、それは、過去の時代とはちがって、社会的には労働者階級の攻勢がつよまり、資本家階級との階級闘争が激化していくなかで資本主義擁護のため唯物論に対抗する思想上の武器として観念論的認識論がとりあげられてきたことによるが、またそれとならんで理論的には、自然科学(とくに物理学)の急速な発展がもたらした科学認識についての検討が求められるようになったことからでもある。この傾向は今日にもつづいており、世界観ぬきの認識論に哲学を限定しようとつとめる新実証主義、分析哲学などに代表される。
認識論において、認識の起源をどこにみるかによって、合理論と経験論が分かれ前者は数学の知識を典型的なものとし、確実で真なる認識は思考によってえられるとして観念論の傾向をつよくうちだし、この思考がつくる認識とは人間をこえた、いわば神的世界ないし絶対理念の世界からの分身としての人間の思考がかちえるものだとして、客観的観念論による認識論になっていく。後者は、感覚を通してえられる経験が認識の源泉をなすとみる。経験論は、一方では経験は外的世界から生ぜしめられて、それにもとづいて外的世界を知る手がかりとなるとみなす唯物論的な見地と、経験と意識上の事実であり、外的世界とはなんら関係のないものだとする観念論的な見地とが分かれる。このほうの認識論は主観的観念論を成立させる。これらの諸学説からみられるように、観念論は、哲学の根本問題から分かれる唯物論と観念論という世界観の対立と無縁ではなく、世界観から規定されて成立するとし、またそれを認識論のほうから固め、ないし批判していくという関係をもち、両者は哲学の個別独立の領域ではなく、相対的にだけ分かれているのである。したがって、認識論のみに哲学をみて、世界観を切りはなすのは、世界観の側を覆いかくしているだけで、新実証主義など一連の立場は、じつは主観的観念論なのである。
唯物論にたつ認識論は従来、本質的には観想的立場にあるもので、経験によって受動的に意識が外界を映すにすぎないという見方に限定されていた。しかし認識過程はただ眺めることで成立するのではなく、人間の生産活動、その階級闘争など社会生活上の実践とむすびついており、認識の根本をなすのは実践にほかならない。そこで、社会的実践が発展するにともない認識の進歩もえられてきたのであり、また認識が実践に適用されることで、認識の力・その真偽がためされ、そのことで認識がさらに発展される。これらのことから、認識論の研究には、人間の生産活動、諸科学や技術の発展とむすびつけられて、認識の起源・本質・諸形式が明らかにされることが必要なのであり、それにともなって真理とはいかなるものかも提示できる。このような認識論をしめしだしたのが、マルクス主義の唯物論的認識論である。