弁証法dialectics

最終更新日:2002年05月09日 船戸和弥のホームページ

哲学事典(森 宏一編集、青木書店 1981増補版)(433-4)から引用

自然弁証法
対立物の統一と闘争の法則
量的変化から質的変化への移行の法則、およびその逆
否定の否定の法則

 自然・社会、そして思考を含む、もっとも一般的な法則に関する科学であり、実践にとっての法則である。弁証法思想は自然発生的に哲学的思考の開始とともにあらわれている。エンゲルスは、古代ギリシア初期の唯物論哲学にそれが現れているのを指摘した。その代表的人物はヘラクレイストである。そこに見られるのは、すべての事物が変化のうちにあり、世界は一つの過程であるということであった。弁証法の語が用いられた初めには、それは問答における論議の術としてであったが、プラトンやアリストテレスは、この語の事物が含む対立という意味にも解していた。そののち新プラトン派の思想に神秘的なかたちではあるが、弁証法と解される所説がみられる。中世のスコラ学では、弁証法の語は修辞学と区別されて、形式論理学として用いられた。近代になってからは、ブルーノ、さらにデカルト、スピノザ、また18世紀のフランス唯物論のディドロの考えのうちに、弁証法的思考の断片が見いだされる。ドイツ古典哲学がとくに弁証法に深い関心をしめして、カントをはじめとしてそれについての考察があるが、ヘーゲルにいたって、それはもっとも包括的に述べられ、その法則についても語られ、それを世界全体をつらぬく一般法則として示した。マルクスとエンゲルスは、ヘーゲルをうけつぎ、かれの観念論の立場による弁証法を唯物論的立場からたてなおした。すなわち、弁証法は精神発展法則として、これが全世界を支配するのではなく、物質世界における発展法則であり、これを基礎にして思考の発展法則もなりたつとする。それは、自然・社会、そして思考にわたる、もっとも一般的法則なのである。

 したがって、ここから一方には客観的弁証法、他方には主観的弁証法という二つが区別される。前者は客観的実在そのもののもつ一般的な運動、その構造、および発展にかんする法則であり、後者はこの客観的弁証法が人間の意識・思考へ反映したものであり、これは人間の弁証法的思考方法および実践方法となって、客観世界に対して正しく対処するためのみちびきとなるものである。唯物論的弁証法は、まず、すべての客観的事物の相互の関連、、相互規定があること、およびそれらの事物が不断に変化し、かつ発展していることを認めるところから出発する。そこに運動の原因をしめす法則(対立物の統一と闘争)、それの構造をしめす法則(量的変化から質的変化への移行→変化)、および発展に関する法則(否定の否定)と三つの原則が成り立ち、そのもとには、本質と現象・内容と形式・現実性と可能性・必然性と偶然性・普遍と特殊などというカテゴリーによって補充される。主観的弁証法の理論は認識論としてあつかわれ、そこには実践と認識(理論)・抽象的と具体的・絶対的真理と相対的真理などの関連、その間の発展関係が明らかにされる。弁証法のこれらの理論はまた、方法の役を果たすものであり、主観的弁証法が、その認識論で明らかにされる認識の発展にもとづいて、客観的弁証法の諸法則ならびに諸カテゴリーをとらえ、それらを運用することで、科学研究においても社会活動においても、実践を導くのである。弁証法の立場は、このように、前進的であり創造的であって、人びとを停滞にではなく、積極的な活動へとむかわせる。弁証法が<革命の代数学>(チェルヌィシェーフシキー)といわれるものみ、このためである。

自然弁証法 dialectics of nature

 自然界の運動、変化発展の一般的な法則としての弁証法を意味し、自然に対する唯物論的で弁証法を意味し、自然に対する唯物論的な見解。それによれば、自然化には絶対不変のものはなにひつとつなく、すべては生成・消滅の過程にあり、自然は各種の運動形態が相ついで生起する歴史的過程であり、それらは互いに関連しあいながら、統一的な世界を形成しているとする。近代の自然科学は、各分野にわたってひじょうな発達をとげ、またカントーラプラス説をはじめとして、エネルギー保存の法則、生物進化論などがあらわれて、19世紀後半には、自然科学の発達そのものによって統一的な弁証法的な自然観に到達することができるまでになっていた。しかし形而上学的な哲学の強い支配に妨げられて、自然はその本性において不変のものであり、ただ繰り返しがおこなわれるだけで歴史的な発展がなく、全体としては永久に同じ姿のものであると信じられ、そのため各種の運動形態の関連が把握できず、すべてが個々ばらばらな、そして固定的なものとして理解されていた。エンゲルスは、弁証法的唯物論の哲学を自然科学に適用することによって、このような事態が打開できることを、当時の自然科学の達成に即して具体的にしめした。その体系的な記述記述の試みは《反デューリング論》(1978)にもしめされているが、まだ十分な形では果たされず準備のためにかかれていた覚え書き断片が、死後(1925)に《弁証法と自然》として公刊され、自然弁証法という言葉が前述のような意味でひろく用いられるようになった。エンゲルスは、ヘーゲルが精神の自己運動による発展理論として展開した弁証法を、物質の自己運動による発展の理論としてとらえなおし、自然科学の成果に基づいて自然の領域におしひろげ、弁証法的唯物論を完成したのである。エンゲルスは<弁証法の法則を構成して自然の中にももちこむことが問題であるのではなく、この法則を自然のなかに発見し、そこから展開することが問題なのである>と言うことを繰り返し注意して、この新しい自然観は、自然哲学に変わるものではなく、自然哲学は命脈を断ってたのだということを強調している。この自然観はレーニンによって、その《唯物論と経験批判論》(1909)でふかめられ発展されている。