民主主義democracy (462-3)

  最終更新日:2002年05月09日 船戸和弥のホームページ

哲学事典(森 宏一編集、青木書店 1981増補版)から引用:括弧内は参照頁。

 もとギリシア語のdemos(人民)とcrotos(支配)の両語からできたdemocratiaから由来する。民主主義は、人びとの自由と平等、人権を尊重する立場にたって、少数は多数の意志にしたがうことを公式に認める権力の形態をさしている。しかし、民主主義は超歴史的なものではなく、歴史的性格を帯びている。<あらゆる民主主義は、一般にあらゆる政治的上部構造と同様に、結局、生産に奉仕し、結局、当該社会の生産関係によって規定される>(レーニン《ふたたび労働組合について》)。資本主義生産は企業の自由、取引の自由を要求し、封建領主の専制に反対して、民主主義を唱え、これをかちえた。しかし、ブルジョア民主主義は、人びとの自由・平等を形式的な性格のものにし、社会的・経済的な条件からひきはなしている。そして、この民主主義を絶対化して<純粋民主主義>の論をたてる。ところが、資本主義社会での民主主義は、支配階級たるブルジョアジーにとおっての民主主義であって、これはその階級支配をおこなうための形態にほかならない。いいかえると、ブルジョア民主主義はブルジョア独裁をおおいかくす政治形態である。かれらは憲法をつくり、議会を設け、また普通選挙制度をも定めて、形式的に政治自由をたてる。それにもかかわらず、人民大衆はすべてこれらの民主主義的権利を利用する可能性を、制限されている。社会的・経済的に人民大衆が、支配階級であるブルジョアジーと同等の地位にいないことが、そうさせている大きな原因である。ブルジョア民主主義は、かたちのうえでは立法・行政・司法の三権力を分立させているが、事実は行政権が他にたいして相対的に比重を大きくして、その力を他に及ばしておりそれは人々の目に明らかである。そうであっても、専制から権力をもぎとって立てられた民主主義は、勤労人民にとってその力を伸ばすのに有益な役割をも果たすことをみのがすことはできない。ブルジョア民主主義も、労働者階級をはじめとする勤労者側の階級闘争によって、ブルジョアジーの階級的独裁を制限させることができる。たとえば、普通選挙制度の実現はどこの国家にあっても、人民大衆の側からの圧力によって獲得されたものである。したがって、人民階級闘争において民主主義の政治権利を拡大することは、みずからの解放をかちとるうえで重要な意義をもっている。民主主義は、結局において社会の生産関係によって規定されているから、生産手段が社会的所有となり、社会的・経済的に、形式的にではなく実質的に人びとの平等が実現されることで、真に人民大衆すべてにとっての民主主義になりうる。すなわち、社会主義的民主主義は、全人民が国家・経済・文化生活のすべてにわたって、それらの計画と実施に参加することをえさせ、人民の支配を文字通りに実現するものとなるそこでは、たんに政治領域だけではなく、全社会生活が勤労者の手によって支配されるのであり、この人民大衆の積極性と社会主義の成長は、やがて、民主主義が政治的権力としておこなわれるのでなくなり、その原則は人びとの社会生活においける道徳的風貌をつくりだし、これは共産主義者かいにおける自治を高めるもとになっていく。→プロレタリアートの独裁。