無条件反射と条件反射

最終更新日:2002年05月09日船戸和弥のホームページ

 無条件反射は生物の種に属し、条件反射は個体によって形成される。条件反射は生物と環境との一時的結合であるから、個体の生活過程で獲得され、反復されることによって強化されるが、長時間もちいられないで放置されると消えてしまう。だが、同じ種類の条件反射をくり返して形成させるような環境が存在する場合には、長時間にわたって結合が持続し、生命物質のなかにその痕跡を残すにいたる。すなわち獲得された環境への適応の仕方が遺伝し、その種に定着される。条件反射が無条件反射に転化し、それ以前の無条件反射を変化させるのである

 本能とは複雑な無条件反射のことであるから、無条件反射が変化するということは本能が変化するということである。本能が更新されることはすでにダーウィンが認めたところである。わかりやすい例をあげるならば、イノシシが何世代・何十世代にもわたって人間に飼育されることによって、イノシシの本能はブタの本能へと転化したのである。この変化は最初に人間に飼われたイノシシからまずはじまったにちがいない。そのイノシシ(個体)は変化した生活環境に機能的に適応して生きてゆくためにいくつかの条件反射を形成した。何世代・何十世代にもわたって人間に飼われるという同一の生活環境が与えられた結果、何世代・何十世代にもわたって同一の条件反射がイノシシの諸個体に形成されつづけ、その結果この条件反射が遺伝されて無条件反射に転化するにいたり、イノシシ(種)がブタ(種)になったのである。これはわかりやすい実例として生活環境が人為的に変化させられた場合をあげたのであるが、自然的生活環境が変化する場合にも、その変化が持続的ならば同じことがおこるはずである。新しい種の本能の形成がこのように個体における条件反射の形成にはじまると考えてはじめて、たとえば昆虫の場合のようにきわめて多種多様な本能をもつさまざまな種が進化の過程で生まれたということを科学的に説明することが可能になるであろう。

 さて、条件反射から無条件反射へと転化する過程で、すなわち新しい機能が種に定着される過程で、その機能を遂行するのに適した器官がつくりだされる(または、イノシシのキバのように、新しい本能にとって不必要な器官が退化する)。これは機能的適応の形態的適応への転化である。この場合に機能と器官との関係は相互的である。ある機能をいとなむことが環境によって要求され、生物体がその機能を不十分ながらいとなむ過程で、その機能を遂行する器官が分化・独立して形成されるのであり、このような器官が形成される過程でその機能をより十分に遂行できるようになってゆくのである。さらに、ある機能を遂行するための器官が分化・独立することは別の条件反射の形成のためのより多くの可能性を生みだし、別の機能を遂行するための器官の分化・独立を促進する。このようにして生物体の諸器官がつぎつぎに発展し、その結果、環境のより多様な変化に機能的に適応できるより大きな可能性がつくりだされてきたのであった。

 生物体がおこなう反映の諸形態が進化する過程で一つの飛躍点になったのは、無機的栄養物の摂取から有機的栄養物の摂取への移行であった。無機的栄養物が生物体のまわりに分散して存在しているのに対して、有機的栄養物・すなわち餌になる植物や動物は特定の場所に集中して存在している。有機的栄養物を摂取するためには生物は一定の距離をおいてこれの存在をとらえ、その方向に接近しなければならない。このためには一定の距離をおいて有機的栄養物の存在を反映する機能、すなわち視覚・聴覚・嗅覚のような感覚機能が必要であり、さらにまた運動する機能と運動を調節する機能が必要である。これらの機能をいとなむ器官として感覚器官を含む神経系統と運動器官が形成されるのであり、これらの諸器官をもつ生物はいうまでもなくある程度以上に進化した動物である。

 神経系統は外界を反映するための・また自己の身体の運動を調節するための分化・独立した器官である。神経系統の発生と発展はよりよく環境に適応しこのことによってよりよく自己保存しようとする生物体の要求と切りはなしては考えられない。

 神経系統の発生によって刺激を受けとる部分と刺激を伝える部分とが分化する。そのもっとも単純なものはたとえばイソギンチャクの触手にみいだされる神経弧である。それぞれの触手の先端で受けとられた刺激は、神経弧を伝わってその触手のねもとに伝えられ、その部分の筋肉を収縮させ、こうしてその触手がまがる。このような分化によって刺激は局所的・静止的なものから伝播される性質のものに変わり、また刺激に対して反応する速度がはやまり、さらにこのことに対応して反応の仕方も分化した。たとえば筋肉は収縮または弛緩し、腺は分泌物を分泌するというように。このようにして伝播される刺激とそれに対する専門化した仕方での反応がおこなわれる場合に、この新しい特殊性をもつ刺激反応性は「興奮性」とよばれる。たとえばバクテリアやゾウリムシにみいだされるたんなる刺激反応性から興奮性への発展は、生物進化の過程でおこらざるをえなかった必然的な発展であった。

 さて分化はまた総合を必要とする。身体の各部分がばらばらに生きているのではなく、各部分が集まって一つの全体としての生物体を形成しており、この全体としての生物体が自己を保存しようとするのであるから、身体の各部分からくる刺激に全体としての生物体が総合的に反応する必要がある。そしてそのためには身体の異なった部分からくる刺激が一ヵ所に集中され、統一・総合されて、こんどはそこから全体としての身体があるまとまった運動をするように身体の各部分にたいしてそれぞれ適当な運動をおこなえという指令が伝達されなければならない。前述のイソギンチャクの場合にはまだこのような中枢部がなく、それぞれの触手の神経弧は独立しており、したがってそれぞれの触手は独立して運動している。イソギンチャクは岩にくっついて生活しており、近くにやってくる餌(おもに小魚)をとらえるだけで、自分の身体を全体として餌に向かって運動させはしないから、このような神経系統でまにあっているのである。しかし餌の方向に自分の身体を運動させる動物になると、たとえば昆虫には神経球があって、ここに刺激が集中されて全体としての身体の運動を調整している。昆虫がすでにそうであるが、やや高等な動物になると身体が一本の軸の左右にシンメトリーをなしている。これは、左右の感覚器官(眼・耳・触角など)の受ける刺激の量が等しくなるようにすればおのずから体軸が刺激の源泉に対してまっすぐに向き、その方向に進めば刺激の源泉に到達できるから、刺激の源泉になるものが有機的栄養物である場合にはその摂取にもっとも都合がよいからである。このような動物では神経中枢はこの体軸上に存在している

 高等動物では神経中枢は(1)大脳と(2)小脳・延髄・脊髄等との二つの部分に分かれており、機能的にみればこれは条件反射と無条件反射の器官である。たとえば犬の口の中に適当な濃さの酸溶液をそそぎこむと防禦反射がおこる。すなわちその犬は酸溶液をはきだし、唾液を分泌して口腔内に残った酸溶液を洗い流す。これは無条件反射である。この場合には酸溶液が舌の感覚神経を刺激し、神経の興奮が延髄に伝えられ、ここから逆に唾液腺に伝えられ、そして唾液が分泌されるのである。この興奮の伝導路は開閉装置なしの直通路であり、それは交換台なしの直通電話にたとえることができる。これに対して、一定の音を聞かせたのちに犬の口に酸溶液を入れるということを反復すると、その音を聞かせただけで酸溶液を口に入れなくても防禦反射がおこるようになる。すなわち犬は音を聞いただけで舌を動かし、唾液が分泌されるようになる。これは周知のように条件反射である。この条件反射が形成される以前には、その音は耳の神経を刺激し、その興奮は大脳へと伝えられるが、そこから唾液腺への興奮の伝導路はなかったのである。それがこの条件反射が形成されたのちには、この興奮が大脳から唾液腺へと伝えられる。つまり条件反射の形成とはそのような神経の興奮の伝導路が一時的に形成されることを意味する。「一時的に」というのは、このような伝導路は、その一定の音を聞かせたのちに口に酸溶液を入れるということをしばらくのあいだやらなければ消えてしまうからである。つまり大脳はそれまでに伝導路のなかったところでこれをつないだりまたは切ったりする開閉装置であって、条件反射による刺激の受容から刺激への反応までのその伝達経路の全体は交換台つきの電話にたとえることができる。こうしてこの見地から特徴づけるならば、無条件反射は直通反射であり、条件反射は接続反射であるということができる。

 このように実験的に形成された条件反射だけを考えると、それはまことに奇妙なものであり、なぜこのような奇妙なものが存在するのだろうかといぶかしく思われさえするのであろう。条件反射の存在理由を考えるためにまず無条件反射について考えよう

 無条件条件には、食餌反射・防禦反射・性反射・自由を求める反射・探究反射などがある。自由を求める反射とは身体を拘束しようとすると抵抗する反射である。また探究反射とは環境のごくわずかの動揺に対してもこれに対応する感覚器官をその要因の方向に向ける反射であって、たとえば馬が小さな物音に対してピクリと耳を動かすのがこれである。「おや、なんだろう」という反射であるから、探究反射のことを「おやなんだ反射」ともいう。――さて、これらの無条件反射がいずれも生きることに、すなわち生物体の自己保存に関係があることは容易にわかる。もっとも関係がなさそうにみえるのが探究反射であるが、探究した結果もしもその刺激が生命に危険なものの接近を示すものであればつぎに防禦反射がおこるのであって、探究反射はいわば防禦反射の準備段階なのである。無条件反射をおこす刺激を無条件刺激というが、無条件刺激はいずれも直接的に生物学的な意味をもった、すなわち生物体の自己保存に直接的に関係のある刺激である。

 しかし外界には直接的には生物学的な意味をもたない多くの刺激がある。だがそれらの多くの刺激がみな一様に生物体にとって無意味なのではない。たとえばシマウマやカモシカにとってライオンのなき声や足音は直接的に危険なものではなく、そのかぎりでは直接的に生物学的な刺激ではない。直接的に危険なのはライオンのキバやツメであろうが、しかしキバやツメによる刺激を皮膚に感じてから逃げたのではすでにおそいのであるから、なき声や足音が聞こえるということはこの場合にはキバやツメの接近を表わす信号という意味をもっており、そのかぎりでは生物学的な意味をもつ刺激なのである。そして実際に原野に住む弱い動物は強い動物のなき声や足音に敏感に反応し、防禦反射をおこす。それは今日ではすでに本能的(無条件反射的)であるようにみえる。第1章第2節でこの種の事例を無条件反射の実例として述べたのはこの意味においてであった。だがしかし、犬の大脳半球を切りとってみると、その犬の無条件反射が変化することがわかる。すなわちその犬にとっては無条件反射をおこす刺激の数が非常に少なくなり、空間的に至近のものにかぎられるようになり、かつまた未分化になる。たとえばこの犬では食餌反射は食物を口に入れたときにのみおこり、遠方からくる複雑でこまかく分化した刺激はすべてその作用を失う。このことを考えれば、遠くから餌のにおいをかぎつけてこれに近づいたり、強い動物のなき声や足音を聞きつけて逃げたりすることは条件反射に起源をもつものであって、進化の過程で条件反射が無条件反射に転化したものであることがわかる。遠方からの餌のにおいや強い動物のなき声・足音などはもともとは無条件反射ではなかったのである。

 無条件刺激の信号という意味をもつ刺激を条件刺激または「信号刺激」という。大脳をもたない動物にとっても少数の信号刺激が存在している。だが大脳をもつ動物にとっては信号刺激となりうるものの範囲が拡大し、さらに特徴的なことには、信号の意味が変化しうる。すなわち無関心刺激(生物体の生存にかかわりのない刺激)であったものが一定の条件のもとである意味をもつ信号刺激になったり(たとえばベルの音が食物の存在を示す条件刺激になる、など)、あるいは同一の刺激のもつ意味が一定の条件のもとでその意味を変えたり(たとえばある地域の動物に対して餌をおいてワナをしかけると、はじめはよくワナにかかるが、同じやり方をつづけるとワナにかかりにくくなる場合があるが、この場合には食物の存在を示す信号刺激が生命の危険を示す信号刺激に変わる、など)、さらにまたある信号刺激が無関心刺激になったりする。

 つまり、大脳半球内では新しい連結が形成されるだけではなく、この連結が適当な条件のもとで切られるのであって、さきに大脳を含む条件反射による刺激の伝達経路の全体を交換台つきの電話にたとえたのは、このこと(切るべきときに切れること)を示したかったからである。

 大脳が発達して多様な条件反射を形成する可能性が生まれることは、生物体が変化しつつある環境のなかでその変化にすばやく適応して生存しつづける可能性が増大することであって、いうまでもなく生物体の自己保存に有利なことである。

 複雑な条件反射の形成にとって必要なもう一つのことは刺激の小さな差異を区別することである。実験の結果によれば犬にはかなり高度にこの能力があることがわかる。はじめには刺激が一般的な形で新しい条件反射の成分になるが、あとになると刺激は分化する。たとえば音を条件刺激として条件反射を形成すると、はじめいろいろな異なった振動数をもつ音がみな一様に条件刺激になるが、一定の振動数の音だけを使って条件反射の形成をつづけると、ついにはその特定の振動数をもつ音だけが条件刺激となり、その他の振動数をもつ音は無関心刺激になる。このようになることを刺激が分化するというのである。この分化の過程を促進するために、実験としてつぎのことがおこなわれた。たとえば振動数500の音を条件刺激として、この音を聞かせて餌を与えるということを反復し、この音を聞けば唾液が分泌するという条件反射を形成する。そのあとでこんどは、振動数のちがう音を聞かせて、そのときには餌をやらないということを反復する。はじめのうちは犬はごまかしの信号を聞いても唾液を分泌するが、同じことを反復すると、振動数500の音を聞くと唾液を分泌するが、ごまかしの音を聞いても反射がおこらなくなる。そこでさらに、ごまかしの音の振動数をだんだんと条件刺激に近づけてゆくと、最後には振動数500の音に対しては反射がおこるが振動数498の音に対しは反射がおこらないというところまで犬が刺激を分化するにいたった、と実験報告は述べている。作用を失った刺激は制止されたといい、このようにして近似した刺激の一方を制止することを「分化制止」という。

 別の種類の制止に「延滞制止」とよばれるものがある。一定の条件刺激(たとえば、ベルの音)を相当に長い時間つづけて作用させたのちに無条件刺激(たとえば、餌)と結合するということを反復しておこないながら、条件刺激を与える時間をしだいに延長してゆくと、条件刺激を与えても最初の数秒間ないしは数分間は条件反射がおこらなくなる。つまり、継続して働く同一の刺激(たとえば、同じ振動数の音)でありながらその時間的な差が分化されて、早すぎる刺激は信号としての意味を失い、制止されるのである

 また、一つの刺激ではなくて数個の刺激を組み合わせたものを条件刺激として、これと組み合わせや順序のちがった刺激を分化させて制止することもできる。たとえば犬を使って、ド・レ・ミ・ファという音の組み合わせを条件刺激とし、これに対してファ・ミ・レ・ドという音の組み合せを分化させて制止することができる。人間のことばもまた、犬にとっては、このような音の組み合わせのさらに複雑なものにほかならない。一般に訓練によって飼犬がその主人のことばを「理解する」ようになるといわれているのは、訓練の結果として刺激としての人間のことばを分化することのできる程度が高まった、ということにほかならない。

 犬の大脳半球の後頭葉と側頭葉を切除すると、「精神盲」・「精神聾」とよばれる症状がおこる。このような犬はみる能力を失ってはおらず、道でであったものをよけて通ることができ、明暗に反応するのであるが、しかし手術前とはちがって自分の主人を識別することができない。この場合に「この犬はみているが、しかし理解しない」という説明が与えられることがあるが、この場合に「理解する」という人間の意識にかかわることばを使うことは危険である。この犬は刺激を分析する能力が弱まったのであり、その結果、明暗を区別してこれを条件刺激として条件反射を形成することはできるが、物体の形とか運動とかを刺激として条件反射を形成することができないのである。

 さて、条件反射を最初に研究したのは、周知のように、イ・ペ・パヴロフである。上述のような条件反射の研究を手がかりにして、彼は条件反射が形成されるにあたって大脳内でどのような生理的過程がおこなわれているかを追究して、大脳生理学を科学的基礎のうえにすえた。この研究の内容を詳細に述べることは本書の任務ではない。ここでは以上に述べたことにもとづいて、条件反射の研究が意識の本質と諸機能を解明するにあたってどのような意義をもっているかを考察しよう。

 条件反射が研究される以前には、人間は心臓や肺や胃腸の機能について知ることはできても、大脳の機能についてはほとんど何も具体的には知ることができなかった。わずかに、動物の大脳のある部分を切除するとある機能に障害がおこるということを調べることによって、大脳の一定の部分が一定の機能と関係があることを推定しうるにとどまった。条件反射の研究によって、生きて働いている大脳の中でおこなわれている眼にみえない機能をたとえば唾液の分泌というような測定できるものを通して推定することが可能になった。眼にみえるものを通じて眼にみえないものを研究できるようにするということは科学的研究方法の偉大な進歩である

 このことはまた感覚についてそれ以前よりもいっそう深く知ることを可能にした。たとえば眼のある動物について、われわれはとかくその眼がわれわれ人間の眼と同じ仕方でみえると考えやすいが、そうではないのである。たとえばヒキガエルは大きな眼をもっていて、いかにもよくみえそうであるが、眼の前にある木の葉にとまっているハエをとらえて食わない。そのハエが飛びたつと、その瞬間にパクリと食いつく。これは、静止しているハエはヒキガエルの眼にはみえず、働くときにはじめてみえるからである。視覚には一般に運動視と形態視との区別があって、下等動物にあっては運動視が発展していて、形態視は比較的未発達である。つまり運動しているものはよくみえるが静止しているものの形態はあまりよくみわけられず、たとえばヒキガエルの場合には、木の葉にハエがとまっていてもこれを形態によって木の葉とハエとしてみわけることができないのである。その理由は、動かないものは生物体の生存にとって比較的関係がなく、餌になるものも危険な敵も主として働くものであるから、生物進化の過程でまず運動視が発達したのである。レンズとしての機能をもつかぎりは眼球には目の前にあるすべてのものが写っているはずであるが、そのすべてが頭脳に反映されているわけではなく、その動物の生存により密接に関係のあるものがよりよく反映されるのである。形態視が未発達であるということは、網膜上における視神経細胞の分布に関係があり、また中枢神経系の発達に関係がある。「みえる」ということを外界の事物が視覚器官を通じて頭脳に反映されることであると解するならば、ヒキガエルはとまっているハエをみえるけれども理解しないのではなくて、みえないのである。

 したがって何がみえるかということは、視覚器官(眼)の問題であるばかりでなく、高等動物にとってはとりわけ大脳の問題である。前述のように後頭葉を切除されて精神盲の状態になっている犬は、飼主に対して電柱やポストに対するのと同様の反応しか示さない。つまりそれらはいずれも走るときにぶつからないようにしなければならないものという意味の信号刺激にはなるが、飼主の姿が電柱やポストから区別されて餌をくれる人という意味をもった信号刺激にはならないのである。ということは、この犬にとっては飼主の姿もまたある明暗のかたまりとしてはみえるが、特定の形態としてはみえないということを意味する。それぞれの動物には条件刺激として分化できるものだけが具体的にみえるのである。視覚の具体性はそれぞれの動物がどの範囲の条件反射を形成することができるかということと相関的である。――以上視覚について述べたことは他の感覚についてもあてはまる。

 条件反射学説がもたらしたもう一つの大きな成果は、これによって心理現象の理解に決定論を貫くことができるようになったことである。決定論とは原因によって結果が決定されることを主張する哲学的理論であって、事物を科学的に理解しようとすれば決定論の立場に立たなければならない。一定の原因によって一定の結果がもたらされることを認めず、原因と結果との必然的な結びつきを否定するならば、ある事象をひきおこす原因を探究してその原因を支配している法則を明らかにするという科学的研究は不可能になるからである。――だが決定論には機械論的決定論弁証法的決定論との区別がある。機械論的決定論は原因が作用する場合の諸条件に注意をはらわず、同一の原因がつねに同一の結果を生じるというように考える。弁証法的決定論は諸条件を重視し、同一の原因であってもそれが作用する場合の諸条件が異なれば結果もまた異なることを認め、諸条件を分析してこれが結果をどのように異ならしめるか把握しようと努める。いうまでもなく機械的決定論は事柄をあまり単純化しすぎており、一面的に割り切ってとらえるという誤りにおちいっている。

そもそも「反射」という概念を最初に確立したのはデカルトであった。外界の刺激が神経の興奮の伝導によって脳に達し、その結果としておこる生物体の自動的反応を彼は「反射」と名づけた。だが彼の考えは機械論的であり、外界の刺激と生物体の自動的反応とを直線的に結びつけたので、人間の心理現象に関しては彼の「反射」の概念では説明できない多くの事柄にぶつからざるをえなかった。たとえば同じ音楽を聞いた二人の人がまったく別の反応を示すことがあるが、デカルトの反射概念ではこのような事実を説明できない。それで彼は人間の心理のすべてを反射概念によって説明するという方向へと進むことができず、人間の理性的霊魂という観念論的原理をもちだし、人間を説明するにあたって統一不可能な二元論におちいったのである。

だが条件反射学説は心理現象を弁証法的決定論にしたがって研究しかつ理解する道を開いた。この学説によれば、それぞれの人間は生まれてからそのときにいたるまでにそれぞれの生活条件のちがいに応じてさまざまの異なった条件反射を形成しており、それらの複雑な痕跡を大脳内に保有している。外的原因(刺激)は人間に作用してその反応を直接的に決定するのではない。外的原因(刺激)はこれを受けとる人間の内的条件(その人がそのときまでにすでに形成しているさまざまの条件反射の総体)によって媒介され、さまざまに変容されて、そのうえでその人の反応を決定する。それだからこの内的条件の相違によって、外的刺激は同一であっても、異なった人間において・または同一の人間であっても異なったときには、結果として異なった反応を生じうる。このように内的条件による屈折を考慮するのが反射の弁証法的な理解である

だがまた、ただ内的条件の相違をいうだけで、この内的条件を理性の自発性のごときものに帰着させるならば、心理現象の科学的研究は不可能にあるであろう。条件反射学説は、この内的条件がさまざまの条件反射の総体であり、それぞれの条件反射がまた結局は外的原因によって決定されたものであることを主張することによって、心理現象を弁証法的決定論の立場にたって研究しかつ理解することを可能にしているのである。

さて、自然的環境も変化するが、社会的環境はいっそう早いテンポで変化しいっそう微妙な変化をする。社会的動物である人間は可変的な社会的環境に適応して生きるために、他の動物に比べて飛躍的に大きな条件反射形成の可能性をもっていなければならない。

意識論(寺沢 恒信著)1984年 大月書店より引用