コギト・エルゴ・スム cogito, ergo sum (143-4)

最終更新日: 2002年05月09日 船戸和弥のホームページ

哲学事典(森 宏一編集、青木書店 1981増補版)から引用:括弧内は参照頁。

 <われ思う、ゆえにわれあり>の意味。デカルトが主著《方法序説》のなかで、かれの哲学の第一の原理とした命題。かれはスコラ学の教える真理に疑いをかけ、真なる認識に至る方法としてまず、いっさいを疑うことからはじめた。懐疑論ではないこのような疑いは方法論的懐疑と呼ばれる。この場合、デカルトは疑っている<われ>、これを意識する<われ>の存在は、疑いえない明晰判明な事実だとし、これを真理の認識のたしかな基礎においた。この命題は<ゆえに(ergo)>という表現から考えられるように推理の形式をとっているが、実は<われ思う>という意識的自我の存在の著区間をいいあらわしたものに他ならない。ここにしめされているのは、主体的に考察する近代的個人の自覚の立場をしめすものと評価され、かれは近代哲学の父とよばれる。しかし<思うわれ>を唯一の出発点としたことは、もっぱら思考の合理的な演繹から真理をたてることになり、ここからは合理主義と観念論とが導き出される。